アオクハルカ
アオクハルカは104期スリーズブーケの楽曲です。リリースされたのは4月ですが、"グラウンドの照り返し"、"日焼けしたスニーカー"などのワードから、朗らかな春というよりも日差しが暑くなり始めた初夏の青く澄み渡った空のイメージが浮かんでくる曲です。蓮ノ空は時期に合わせた曲が多いので、リリース当初はなぜこの曲が4月に出たのかと少し疑問でしたが、5月にレディバグに関連する活動記録が公開されたことで、なるほどアオクハルカは6, 7月に使われるためにこの情景描写だったのかと改めて理解しました。
歌詞を見ていくと、"移り変わるこの街の情景に"、"あの花も去年と同じように見えて同じものではないから" など、「変わっていくもの」が1つのテーマになっているように思います。その中で、"寂しくなる日もあるけど"、"意地悪にも見えてしまう世界" などの歌詞から、その変化はただ純粋に喜べるものではなく、悲しさや苦しさを伴っているようにも思えます。"天つ風よ あなたは何処へ" は、大切な何かがどこかへ行ってしまう様子を青く澄み渡った空に吹く風になぞらえているようにも思えますし、"その声はまだ聞こえない" と「まだ」と言っているところに、今はわからないけどいつかは理解できる時が来る予感がするというニュアンスを感じます。
変わってしまいどこかに行ってしまうものが向かう先が空だとすると、この曲での一人称視点となる人物は地上にいて、走っています。"グラウンド"や"スニーカー"などの足元の描写に加え、"白線"、"校舎の脇" などの単語から、校庭で体育の授業や運動会、部活の練習しているような場面が想像されます。"ゴールは決まって スタート地点で" という歌詞も、その想像を後押しする表現という感じがします。さらに "それが走るって事だ" という直接的な表現に加え、"胸が苦しい 息もできない" なども、走ったことによって息が上がっている姿に繋がり、夏という暑い季節の空気とともに汗をかいている様子が思い浮かびます。そう考えると、2番の "形はなくて 透き通っていて" が水や蜃気楼のようにも思えてきます。
走ると、相対的に見て周囲の景色は流れるように変わっていきますし、物理的にもどんどん移動していって違うところに辿り着きます。"前へ進め もっと先へ" という歌詞もありますが、走るというのは夢へ向かって青春を駆け抜けていくことの比喩でもあり、前に向かって全力で進んでいくことでもあります。でもそれは必ず変化を伴うものなんだ、というメッセージが "移り変わるこの街の情景に 寂しくなる日もあるけど それが走るって事だ" という一節に込められているように感じます。アオクハルカという曲は、僕にとってはその避けられない変化をどう捉えるかということに向き合うための曲であり、それが想いを受け取り繋いでいくこと、すなわち「伝統」なんだと感じさせてくれる曲です。
寂しくなるような街の情景の変化というのは、慣れ親しんだ何かがなくなったことのように感じます。例えば生まれたときから近所にあった公園がなくなったり、小学校のときの友達の家が知らぬ間に引っ越していたり、お気に入りだったお店が廃業していたり。スクールアイドルの文脈でいえば、卒業や廃校に近いものも感じます。そういった変化は頑張って防げるものもあれば、どうしても避けられないものもあります。"胸が苦しい 息もできない だけど守りたい" という歌詞には、そんな悲しい変化に直面した心境が表れているようにも感じます。
なくなってしまうことは仕方ない、それでもなくしたくない大事なものを守るために何ができるのか。それは悲しさに囚われてそこで止まることではなく、想いを引き継いで抱えて走ることだというのがこの曲のメッセージのように感じています。"守りたい" から繋がる次の歌詞が "この想いも意味も全て 連れて行けたらいいな 明日の私へと繋ぐから" であることが、その印象の大きな要因です。物理的に変わってしまうことは避けられなくても、そこに宿る想いだけは残して持っていきたい。そんな気持ちを感じますし、そうやって想いを繋いでいくことが「伝統」なのではないかと思います。梢の言葉で言うところの、「時代を超えた想いの繋がりを、私たちは伝統と呼んでいます」です。僕は "握りしめた それが何か 私もまだわかってないよ" の何かや、"受け取っていた そしてここへ 私のこと連れてきた (中略) 揺るがないもの" は、あえて名前をつけるのなら「伝統」なんじゃないかと思っています。
2番の "受け取っていた そしてここへ 私のこと連れてきた" は、1番の "連れて行けたらいいな" と対比になっているようにも感じます。伝統を守り体現する姿に焦がれ、新たに伝統を引き継いでくれる人を惹きつけることでずっと伝統が未来へと紡がれていく流れがこの変化から見えてきます。2番ではさらに "前へ進め (中略) そう言ってもらえてる気がするよ" と続きますが、これもまた伝統を守るということが立ち止まってそのままでいることではなく、その魂を受け継ぎながら、前へ向かって走ることなのだと言っているように感じます。さらにラスサビでまた "連れて行けたらいいな" に戻るのもまた、現役として伝統を守り走っていく役目が次の世代へと引き継がれたようにも感じます。
例えば「逆さまの歌」が「Reflection in the mirror」として受け継がれているのも、歌う人も表現の形も変わってしまったかもしれないけど、根底にあるこの曲が好きな気持ちやこの曲で想いを伝えたいという心、そしてこの曲を代々託して残していこうという意志はみんな1つだった。だからこそ、この曲は伝統曲なのだと思います。そういった、変わらないものと変わっていくものがあることを受け入れ、変わっていく中で変わらないものをずっと受け継ぎ繋いでいくことが伝統なのだと、この曲に教えられているような気がします。
歌詞・ボーカル以外の部分でもこの表現が支えられているように感じます。ギターが印象的なイントロから始まる曲ですが、1番Aメロの "あなたはどこへ" あたりからギターはあまり目立って聞こえなくなり、ストリングスが主に曲を支えるようになります。そしてアウトロにいくとまたギターがメインに戻りつつ、ストリングスも弾くような音でギターと調和しているように感じます。1番Bメロはリズムを際立てるインストなのに対して、2番Bメロは流れるように美しいストリングスで紡がれているという変化も、"去年と同じように見えて同じものではない" を強調しているように感じます。また、全体的に疾走感のある曲調で「走る」という情景とマッチしていますが、間奏からのDメロはテンポ感が落ち着きます。ラスサビ前に落ちを作るのは曲として典型ではありますが、"最初の一歩を日々繰り返し" の走るというより歩く感じにもよく合っているなと感じます。
目まぐるしく変わってしまう地上と、いつでも変わらない青い空が対比のように使われているような感じもします。それこそ夜空であれば星の位置など日々変わりますが、雲ひとつない透き通った青空は変わらない、揺るがないものの象徴のようにも感じます。アオクハルカというタイトルは青空を連想させますが、変わっていくものもあれば、変わらないものもある、それを地上と空の上で対比させた表現なのかもしれません。また、アオクハルカというタイトルからは「アオハル」を連想する部分もあり、その意味でも学校であったり、卒業など限られた時間とともに変化せざるを得ないスクールアイドルを思わせるところがあるように感じます。ラスサビでは最後に "夢の中で生きる時間も" という一節が追加され、"夢の中で生きる時間も 明日の私へと繋ぐから" と変化していますが、スクールアイドルでいられる時間、もっと一般化して言えば、現役世代・プレイヤーとして伝統の流れの中で過ごす期間を指しているように感じます。その解釈でいえば、先代たちが紡いできた伝統を自分に繋いでいくという意味だったり、自分が現役として過ごした時間をその後の日々にも繋いでいくという意味にも取れるように感じます。
ここからは曲というより個人的な話になってしまうのですが、Dream Believers (104期Ver.) のスリーズブーケお渡し会に当選したため、その準備をする際にこの曲ばかり繰り返し聴いていました。僕は気の利いたことが言えるわけでもないし、あまり認知されたくない (僕の場合、認知を求めて応援するようになってしまうと応援の仕方が歪みそうと思ってしまう) ので対面イベントが基本的にそんなに得意ではなく、積極的に応募するというよりは欲しいものを買ったときに応募券が付いているなら応募するか、くらいのことが多いのですが、これは本気で当てたいと思って応募しました。理由としては、乙宗梢役の花宮初奈さんに直接会える機会は、もしかしたらこれが最後かもしれないと思ったからです。花宮初奈さん自体に会える機会はこれからの活躍や活動の方向性次第ではあり得るかもしれませんが、乙宗梢役としては、2025年3月を過ぎたあとどうなるのか、それより前に同様の機会があるかどうかを考えた時、何も保証はないなと思いました。アオクハルカを聴いていた理由は、もちろんお渡し会の応募券対象であったDream Believers (104期Ver.) のアルバムに収録されていたのがこの曲で、この段階で音源となっている3人のスリーズブーケ曲がこれしかないというのももちろんありますが、3人のスリーズブーケになったという変化、そして来年度には乙宗梢はもういないかもしれないという変化と向き合うべきタイミングが僕にとってこのお渡し会で、その変化と向き合う気持ちを支えてくれるのがこの曲だと、この投稿で今まで語ってきた曲の解釈から、そう思ったからです。
さらに、このお渡し会は2024年6月2日に行われましたが、この準備をしている時期である5月29日に、僕はAqoursのSAKURA-saku KOKORO-sakuを聴きました。それが僕にとってどういうことかというのは1つ前の投稿で詳しく書きましたが、AqoursがFinalを迎えることが僕の中で確信に変わった日でした。来年には梢もおそらく卒業するし、AqoursはFinalを迎える。仮にAqoursのFinalが来年じゃなかったとしてもそれがずっと先とは限らないし、なんなら虹ヶ咲だって3部作で時間がかかるとはいえ完結編がもう始まるし、Liella!だっておそらく最終学年となる3年生を描くアニメ3期が始まろうとしている。どこを見ても一区切りに向けて動いている段階で、具体的にそれがいつかはわからなくても、変わっていくことは避けられない。改めてそれを突きつけられた時期でした。だからこそ、目まぐるしく変わっていく中で自分はどうありたいのか、どうあれば受け取ってきたものに少しでも報いることができるのか。そういった僕の想いを包んでくれたのがアオクハルカという楽曲であり、僕がこの時期特にずっとこの曲を聴き続けてきた理由です。
僕は "胸が苦しい 息もできない だけど守りたい この想いも意味も全て 連れて行けたらいいな" という一節が好きで、抱えていると辛いけど、辛くても抱え続けていたいから全てをちゃんと持っていくという泥臭くも清々しい決意が好きです。僕は謳歌爛漫の "前に進むため そんなこと忘れろって笑われるかもね 荷物になるとしても 切なさもやるせなさも 連れてゆくよ" が大好きなんですが、好きな理由はきっと同じなんだろうなと思います。たとえ辛く苦しくても、決して失いたくない大切なものならば捨てずに痛いまま抱えて、それでも前に進む。"意地悪にも見えてしまう世界 それでも愛したいから" という詞は、好きだからこそ悲しくなってしまうこともあるけど、根底にある好きという気持ちを悲しみで曇らせずにちゃんと見つめていたいと思わせてくれます。
結局引き継いでいくために何をすればいいのか具体的なことは僕にはわかりません。それでも変わってしまうことを受け止めて、だけど変わってしまうからといって忘れたり捨てたりするのではなく、変わらない大切なところはきちんと抱えて、前へ進む。そうありたい。僕にとってアオクハルカは、これからのラブライブ!シリーズとの向き合い方を支えてくれる大切な一曲です。
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