Aqoursと僕のこれまでとこれから

AqoursのFinalを明確に意識したのはいつからだろう、と考えると、それはやはり劇場版が決まったあたりからだろう。2期が終わった直後の年明け福岡ファンミの前に「Aqoursはこれからどうなるんだろうね」「3年生が卒業した後も描く形で続ける展開もなくはないかも」「理亞が転入してAqoursに入ったりして」みたいな妄想話をオタクとしたことを覚えている。 (絶妙に劇場版の内容に掠っていたのが今思うと面白い)

劇場版をベースにした5thライブの頃には、これが終わったらAqoursはどうなるのだろうかと、一度は考えた人も多いだろう。キャスト側からの「Aqoursは終わらないので、そういうことは言わないで欲しい」という言葉によって、そういう話自体がオタクの間でもあまり表立ってされることは減った気がする。個人的にはキャストが言ったからといってその全てに従う必要があるとも思っていないので、風説の流布や誹謗中傷レベルで悪質なものはともかく、予想や不安レベルでは各々勝手に言えばいいし、否定し続けたければ否定すればいいし、くらいのスタンスではあったが、僕自身もまだ決まってないことに関してやいのやいの言いすぎるのはよくないなと思ったし、それよりも今目の前の活動を全力で応援し続ける方が大事だと思っていたので、あまり考えることもなくなった。

それでも、アニメの物語に区切りがついたのにキャストの活動の区切りが明確にないからこそ、これからAqoursはどこに向かって走っていくのだろう、という疑問は常にあった。これはネガティブな意味ではなく、キャラクターたちが劇場版の物語で選んだ選択に沿ったμ'sとは明確に違う道を選んだからこそ、未知の世界に挑戦するAqoursらしいチャレンジャー精神を感じていて、もちろん不安や迷いもあったが、ワクワクする気持ちの方が強かった。

その後リリースされた未体験HORIZONの歌詞は、新しい夢が何か具体的にはまだわからなくても、Aqoursはやっぱり夢を追いかけ続けるんだという期待を感じさせてくれた。ラブライブ!フェスも夢の舞台の1つではあったが、自分としては特にGuilty Kissのユニットライブが本人達も深夜テンションのセトリと言ってしまうくらい自由で楽しすぎて、「物語の縛りから解放されたAqoursのライブは、これからこんな風に楽しくなるんだ」とワクワクしたのを鮮明に覚えている。しかし、そんなユニットライブもコロナ禍に入ってAZALEA公演が延期となる。

6thドームツアーが始まる頃にはTV出演なども増え、アーティスト路線で観客動員を増やし、より大きな規模のライブを達成することが新たな夢になるんだろうと感じていた。ツアーの表題曲であるFantastic Departure!も、より広く大きな世界へと飛び立つことが意識されているように感じ、いつかは海外でも大規模なライブイベントを行いたいという意思も込められているように感じていた。僕もその夢に乗りたいと思ったので、ドームツアーにも基本的に全て応募するつもりでいたが、中止が決定した。ショックは大きかったが、当時の状況を考えると誰を責められるわけでもなく、ただただ物販を多めに買って次に繋がることを祈るしかできなかった。

その間を埋めるようにオンラインライブが決定した。伊波杏樹さんが舞台人で生を大事にする人間であることを知っているので、もちろん1人の意思で可否が動くようなことではないだろうが、オンラインライブという形を決断するのにも葛藤があったんだろうなと勝手に推察していた。オンラインになったおかげでカウントダウンライブを開催できたのはよかったと思っているし、それが翌年の現地での合同カウントダウンライブに繋がったとも思っていて、先輩として新しい道を切り拓いて後輩達に繋ぐことも、夢そのものではないがAqoursらしい存在証明の1つのように感じられたのは嬉しかった。

次なる新たな挑戦であった野外ライブのつま恋も、結局中止となってしまった。本当に苦しかった。それからしばらくして6thツアーが発表され、最終的に東京ドーム公演が追加された。虹ヶ咲が同時期に京セラドームを使っていたことから、ドームツアーのために押さえていたのではないかと勝手に推測しているが、結局これを明確にドームツアーとは銘打っていなかったように思う。その裏にも何か想いがあったのかもしれない。

このライブの前あたりだったと思うが、その頃Aqoursから少し離れていたオタクに「ストーリーは一区切りついたけど、最近のAqoursの曲ってどういうことを歌ってるの?」みたいなことを訊かれたとき、未ホラ・ファンデパ・sssSと来て、どれも何かはわからないけどワクワクする次の夢を歌っているけど、具体的には何も進んでない気がするなと思い返し、「次の夢への期待を歌ってるけど、その次の夢が何かを頑張って模索してる感じ」みたいに答えた。これが、「Aqoursは次にどこへ向かえばいいのかわからなくて、ずっともがいている」と捉え始めたきっかけの瞬間だったと思う。

キャスト・運営も苦しみながらなんとかAqoursを続ける方法を、新しい夢を必死で探している。それは外から見るともたついていたり停滞しているように見えるかもしれないが、僕はなかなか前に進めないことも一緒に苦しんで、一緒に乗り越えたい。この頃からそう思い始めていた。一ファンなんだからコンテンツをただ楽しめばいいし、純粋に楽しめないなら追うのをやめればいいという人もいるかもしれないが、僕にとってAqoursはファンというより、もう戦友という感覚だった。だから、もし苦しみながら戦っているのなら、僕も一緒に苦しみを分かち合って、少しでも支えて、戦いたい。そしてまた青春を駆け抜けたい。むしろこのなかなかうまくいかなくても泥臭く諦めずに戦い続ける感じが、Aqoursらしい青春じゃないか。だったらそれに付き合って、その先の青空を夢見て、前に進みたい。そんな感覚になっていた。(一応断っておくと俯瞰して捉えるとそういう感覚だったというだけで、曲やパフォーマンスは相変わらず好きなので、普通にライブやイベントの瞬間瞬間はもちろん素直に楽しんでいた。)

6thライブのコットンキャンディーえいえいおー!を観て逢田さんが「これまで色々やってきたけど、Aqoursってまだまだできることあるな」と思って泣いてしまったというエピソードに、新しい挑戦を求め続ける葛藤、だからこそ光が差して見えたときの眩しさが表れているように感じた。僕自身も、東京ドームの迷冥探偵ヨハネの圧倒的なパフォーマンスからその新しい可能性を感じて泣きそうになっていたので、理由を聞いて共感できた。そんな中で発表された幻日のヨハネのアニメ化は、希望といってもいいような、やっと見つけた次の走り方なんだろうと思った。

Aqoursの1番のファン・小林愛香さんは、本当に幻日のヨハネに心血を注いで重責を背負って駆け抜けていたなと思う。Aqoursが、ヨハネが大好きなこと。そして主人公となったことがもちろん稼働量の大きな要因だろうが、それを全力でやり遂げた原動力のうちの1つに、幻日のヨハネを繋げることがこれからのAqoursにも繋がっていくという思いがあったからなのではないかと思っている。それこそ先日の発表会でも「私がAqoursを守ります」と言っていたが、そういう信念はこの時にはもうあったのではないか。ネタにするような空気になっていたが、僕は「もう十分に頑張って守ってくれているよ」、そんな気持ちでいっぱいだった。そんな幻日のヨハネも、去年末のライブをもって展開に一区切りを迎えることが言及された。僕には、また1つ夢が手のひらから零れ落ちたように見えた。でも、これまで色々な方向から新しい夢を見つけてきたAqours、そして運営スタッフなら、また何かを見つけて走り出してくれるだろうと思っていたので、このときはこれがAqoursの一区切りになる必然性はないと思い、次の夢を見つけるまで根気強く待とうと思っていた。

僕の中で決定的に感覚が変わったのが、伊波杏樹さんのライブツアー "KILLER MIRROR GIG" 愛知公演で披露された「ひまわりの約束」のパフォーマンスを見たときだ。他の人がどう感じたのか、そして何より伊波さん本人が表現しようとしたものとは違ったのかもしれないが、僕には隣に一緒に歩んできた大切な誰かがいて、でも離れ離れになってしまう。そんな情景が浮かんできた。少し余談にはなるが、伊波さんは2019年のイベントでも「ひまわりの約束」を歌っているが、そのときの「君」は応援している目の前にいるファンのことで、応援し合うファンとの関係を思って歌ってくれているというのが僕の印象で、今でも忘れられないほど暖かな気持ちになったことを覚えている。今回は明確にそれとは違う表現だったと感じた。そして、「ひまわり」という単語で僕が思い浮かべる伊波さんにとって大切な人は、高海千歌だった。この瞬間に、9周年という区切りのいいタイミングでFinalの告知をして、そこから1年間が活動期限になるのではないかという予感が僕の中に生まれた。

そこで思い返してみると、小林愛香さんは幻日のヨハネのライブイベント以降、ずっと髪の色をヨハネブルーで維持していた。普段は「ヨハネの魔法」はライブ・イベント期間限定で、次に人前に姿を現すまでには髪色を戻していることが多い印象だったが、幻日のヨハネのライブからそれが変わったように見えた。そのことには前から気付いていたが、ラブライブ!サンシャイン!!ではなく幻日のヨハネの、ヨハネの魔法がずっと続くようにという新しい願掛けなのかなと考えていた。しかし、Finalの文字がちらついてから思い返すと、それはまた別の願掛けなのではないかと考え始めていた。 (僕は小林愛香さんのすべての配信やインタビューを見たりということはしていないので、どこかでこの件について言及していて全く見当違いだったらすみません。)

そんなことを漠然と思いながら6/30が近づくなかで、Aqours CLUB CDの楽曲名が「僕らの海でまた会おう」であることが公開された。Finalライブで歌われるためのタイトルとも捉えられるその響きに加え、BLUE EDITIONという「その色を使ったら次に何があるんだよ」という色名、三津浜に "Aqours" の文字を描くという、「そこを使ったら次に何があるんだよ」というロケーション。予感にどんどんと説得力が与えられていった。

そして発売された、Deep Blue カップリング曲、SAKURA-saku KOKORO-saku。歌詞を聴いた瞬間、呆然とした。そもそも幻日のヨハネ関連ではほとんど作詞を担当していない畑亜貴が、ここでわざわざカップリングに歌詞を提供している時点で、このタイミングでなければならない意味がある曲なんだろうと直感していた。美しく満開に咲き誇ってから散っていく桜になぞらえながら、まるで夢のピークが過ぎようとしている予感を抱えながら、そのピークを振り返っているような歌詞。僕がここ数年間ずっと抱えてきた、また夢を追いかけて走りたいという気持ちに、その日々はもうすぐ終わるかもしれないという答えを突きつけられた気がした。あぁ、もう、本当に、終わるんだな。正直、確信だった。これで逆にFinalの告知が来なければ、僕はもう途方もなくセンスのないオタクだから、それはそれでAqoursのオタクをもうやめていいんじゃないか。そう思えるくらいには僕の中では確信だった。

頭が真っ白なままSAKURA-saku KOKORO-sakuをリピートしながらしばらく放心状態だったが、もしFinalが来るなら残された時間は少なく、ぼーっと過ごしている場合ではないんじゃないかと思い立った。じゃあ、仮にFinalが来るとして、残された時間が約1年だとして、僕はその1年をどう過ごして、どうFinalを迎えるべきなんだろう。その答えもまた、SAKURA-saku KOKORO-sakuが気づかせてくれた。「楽しい気持ちで会いたいんだよ」。僕はどんな気持ちでFinalライブでAqoursに会いたいのか考えたとき、「僕は全力で駆け抜けたよ」「やり残したことはないよ」とすっきりした顔で会いたいなと思った。

Finalというのはゴールで、ゴールは目標で、目標は夢になり得る。虹ヶ咲の話になるが、虹ヶ咲も劇場版完結編3部作の制作が発表された。6thで発表された瞬間は本当に心が抉られた。でもここで相良茉優さんが、明確な区切りのないまま道半ばで終わってしまうコンテンツもある中で、きちんと完結編が作られることのありがたさの話をしてくれた。だからといって悲しさが全くなくなるというわけではないが、それはそれとしてその通りだなと思った。Aqoursも、もしこれから先さらに5年、10年と続いたとしても、有耶無耶に緩やかにただ続いているだけになるのなら、それは嫌だなと思った。Aqoursには走り続けて、戦い続けている姿を見せて欲しい。もちろん、まだまだ走れるなら走って続いていって欲しいと思うが、どこかでそれができなくなるときが来るなら、その前に一区切りをつけるというのはある意味で望んでいることでもあった。今回のタイミングが「できない」なのか「まだできる」なのかは僕にはわからない。だけど、少なくともこのタイミングなら、戦い続けたAqoursのままでFinalを迎えることができるのは間違いない。Finalという区切りがつくことそのものはやっぱり寂しいが、いつか必ずFinalを迎えるなら、今というタイミングであることは、僕にとってはAqoursと一緒に駆け抜け切れるという希望でもあるなと思った。ここ数年間、ずっともやもやともどかしい気持ちを抱えながらも、それをも受け止めて一緒に乗り越えていこうと過ごしてきた。ここからの1年間は、何も迷わず駆け抜けられるんじゃないか。それは、純粋に100%喜べる形ではないかもしれないけど、見方によってはずっと待ち望んでいたものじゃないのか。やっと走れる。そう思った。だから、もしFinalの告知が来たら、1年間全力でAqoursと走ろう。終わった後のことなんて考えずに、そんなことより今を全力で駆け抜けよう。それが僕が決めた覚悟だった。

6/30の配信。生放送ではなく、事前収録でも9人で行うことにこだわっていたことで、放送を迎える心構えがより強く固まった。奇しくもその日、僕はμ'sのOverseas Events 台北公演に参加していた。Final LoveLive! をやり遂げたμ'sとこうして今も会えているということをその日に実感できたことは、μ'sファンとしてはもちろん、この日に限ってはAqoursのファンという面からも希望だった。また会える日があるかもしれないのだから、やっぱり今を駆け抜けることに目を向けよう。そう思い直せた。

μ's 夜公演終了後、すでに放送開始時間は過ぎていたが、急いでAqoursの配信の視聴を始めた。すでにいくつかの発表を終えたようだったが、まだ大きな発表を残している雰囲気だった。さらにいくつか発表が進み、ついに「Aqoursからの大切なお知らせ」が始まった。メルパルクからこれまでのナンバリングライブを振り返る映像。「まだ判断するのは早い、ナンバリングを振り返って普通にナンバリングライブの告知かもしれない」と一瞬思ったが、そうするとメルパルクを含める理由がない。あぁ、やっぱり来てしまう。そう思った後に浮かび上がった「Finale」の文字。あれほど覚悟を決めていたはずなのに、この文字を見た瞬間はどうしても胸が締め付けられるように痛くなった。全然予想もしてなかった他のファンたちは、どれほどの衝撃を受けているんだろう、と想像してさらに苦しくなった。それと同時に、「Final」ではなく「Finale」と銘打ったことに、あくまでμ'sとは違う道を行こうとするAqoursらしさ、そしてフィナーレという響きがもつ大団円のような華やかで煌びやかな祝祭のようなイメージに、やっぱり笑顔で楽しいライブにしたいんだなという想いを感じた。

「Aqoursは解散するわけじゃない」「Finale LoveLive!の後会えなくなるわけじゃない」それはそうだろう。だけど明確にそこで何かを変えると決めたから、Finale LoveLive!をやるはずだ。その変化の後がどうなるのか、自分がどんな気持ちでいるのか。まったくわからない。だから、「心配しないで」という言葉は正直あまり響かなかった。だけどそれは、僕にとって今、より大事なのはFinale LoveLive!そのものであり、それまでの時間だからだ。Finale LoveLive!が終わった後の気持ちは、Finale LoveLive!が終わった後の自分しかわからないし、それからどうするかもその後にならないと結局わからない。だったらやっぱり、Finale LoveLive!と全力で向き合って、Finale LoveLive!までを全力で駆け抜けて、Finale LoveLive!を全力で楽しみきるしかない。悲しい気持ちや寂しい気持ちが消えるわけじゃないし、無理に誤魔化して消す必要もないが、そういう気持ちも全部抱えたまま全力で走りたい。走り切った後結局悲しければそのとき泣けばいいし、走り切った後やり切った達成感に包まれていれば笑えばいい。たぶん両方、他にももっと色々混ざってるんだろうけど。

これが、ここ数年、特にここ数ヶ月、僕がAqoursに対して何を感じながら追ってきたかというおおまかな気持ちの動きだ。話題上割愛したが、僕がAqoursに出会ったのはもっと前からで、その頃からの想いもたくさんあるし、その頃にもここで触れた期間も楽しい思い出がたくさんある。覚悟とか駆け抜けるとかたくさん言ったが、それは結局のところつまりこれからもAqoursとの時間を楽しみきるということだ。「輝くって、楽しむこと」だから。

Aqoursに対する想いは人それぞれだと思いますが、ここからおそらく約1年ほど、一緒に駆け抜けていくよという人がいれば、何卒よろしくお願い致します。

コメント

このブログの人気の投稿

Aqours☆HEROES

キセキヒカル

コワレヤスキ

僕がいい感じになるKeynoteテンプレート「Eli」作った

Märchen Star