LIKE IT!LOVE IT!

※スクスタ内の各種ストーリーやパンフレット・雑誌、ライブの内容に言及する可能性があります




























僕マジでこの曲好きなんですね。3rdアルバムから好きな曲を1曲だけ選べと言われたら、イッキョクダケナンテエラベナイヨ~と言いつつ泣きながらLIKE IT!LOVE IT!かSay Good-Bye涙を選ぶと思います。
曲も歌詞もどちらもめちゃくちゃよくて、せつ菜の成長・これまでの軌跡が繋がっているのを感じるエモーショナルなよさもありながら、一緒に歌えるパートあり・せつ菜曲らしい疾走感あり・かっこいいギターあり、のライブで盛り上がれる曲にもなっています。
イントロや間奏などの "Wowow" のところはもちろん、個人的にサビの "LIKE IT!" や "LOVE IT!" も一緒に叫びたいと思ってたので、2ndライブの演出でスクリーンに文字が出たときは嬉しすぎました (いや、だからと言ってみんな言うのかどうかはわかりませんが……)。
こういう曲で僕は突如泣いてしまいがちなんですね。 (1stライブMELODY顎震わせ号泣オタク)


ここでせつ菜のスクスタでのストーリーを少し振り返っていきたいと思います。
せつ菜は1st Seasonの特に前半においてかなり重要なポジションなので、メインストーリーから少し触れます。
優木せつ菜はスクールアイドルにおける芸名のようなもので、本名である中川菜々としては、優木せつ菜であることを隠しつつ虹ヶ咲学園で生徒会長をしていました。
ここに現行の生徒会の在り方に疑問を呈した三船栞子が現れ、生徒会長に立候補して生徒会選挙を行います。
結果として菜々は生徒会長を退き、その役割を栞子に譲ることになりました。
元々せつ菜が生徒会をやっていたのは厳しい両親の目をかいくぐり、遅くまで帰らなかったり休日に出かけても疑われることなくスクールアイドル活動を行うため、という理由もありました。
ですが、生徒会をやめたことをきっかけに隠しながらのスクールアイドル活動が困難になり、両親にすべてを打ち明け直談判した結果、説得に失敗し仲違いする様子が、キズナエピソードでも描かれています。
この辺りは本当にせつ菜にとって辛い展開の連続でかなり心が苦しくなってきます。
親の言うことに従い続けてきたせつ菜が家出までして徹底抗戦しますが、最終的には「あなた」からの「論理的に両親を説得をするのではなく、せつ菜らしく好きという気持ちをぶつけた方がいい」という助言を受け、両親をライブに誘い、そのパフォーマンスを見た両親がせつ菜の気持ちに触れ、スクールアイドル活動を認める、という流れが2ndアルバム曲・MELODYに対応する部分までのキズナエピソードです。
この時点でもうMELODYについても語りたくなってしまうんですが、実はこれはLIKE IT!LOVE IT!のブログだったので、自重します。
ここで重要なのは、MELODYおよびその文脈となるストーリーにおいて、「束縛からの解放」が1つのテーマであるということです。


記事冒頭で「これまでの軌跡」という話をしましたが、LIKE IT!LOVE IT!ではこの「束縛からの解放」という部分がMELODYと共通のモチーフである "空" を通じて描かれているように感じています。
MELODYには "あの空までほら届け!" という歌詞がありますが、LIKE IT!LOVE IT!にも "空の高さは自分次第で 自由に変えていける" という歌詞があります。
僕はこの部分を、「気持ちを抑えたり諦めたり、自分で勝手に決め付けることで空が低くて閉塞感があるように感じてしまうけど、自分の気持ちをぶつけることでそんな自分の思い込みを壊して、空を広く感じられるようになる」みたいな意味で捉えています。
そう解釈すると、この部分はまさにMELODYのキズナエピソードでの経験があったからこそ歌える歌詞だな、と感じるわけです。
例えば他の部分でも「束縛からの解放」の話をすると、LIKE IT!LOVE IT!衣装の胸元にも錠前のようなものが付いていて、しかも鍵は開けられています。
髪飾りが鍵になっているようにも見えますが、これも今まで拘束されていたものから解き放たれたことを表現しているようにも思えます。
さらに冒頭の歌詞 "教室から飛び出した夢と 全力で追いかっけこ" のところも、教室 = 親に強いられていた勉強・物理的に閉じた空間のような響きがあって、そこから飛び出してスクールアイドルという夢を追いかけ始めたせつ菜の原点が描かれているように感じます。
ついでに言うと、「追いかけっこ」という言葉選びは1stアルバム曲であるCHASE!の曲名を彷彿とさせるところもあり、ここでも今までを振り返りながら曲が進んでいるという印象を受けます。
(ところで "追いかけっこ" に対応する箇所の2番の歌詞が "メモリー" でちょっとMELODYっぽいな、と思ったりもするんですが、これはどちらかというとオヤジギャグが得意になった僕のオッサン化の顕れだと思います。)
音としても、CHASE!のラスサビ入りにもあるギュルルルンみたいなギターの音が、LIKE IT!LOVE IT!のラスサビ入りにもあって、CHASE!へのリスペクトを感じたりもします。


そろそろLIKE IT!LOVE IT!自体の話にも入っていこうと思います。
この曲に対応するキズナエピソードでは、今までなんだかんだ自分のことでの悩みが描かれることが多かったせつ菜の、ファンとの向き合い方が描かれています。
ファンレターでみんながそれぞれに持つ「大好き」の気持ちに触れたせつ菜は、「みんなの大好き」を自分が代わりに広めようと、オススメされたものに触れ、それを元にパフォーマンスをすることを決めます。
ですが実際にライブを行ったところ、何か違和感を覚えてしまいます。
栞子や「あなた」との会話を通じ、その理由がみんなの大好きなものを同じレベルで大好きになれていないこと、そして誰かの代弁ではなく自分が心から「大好き」と思える気持ちを伝えることが大切であると気付きます。
自分が望む、誰もが大好きを叫べるような世界のためには、無理に誰かの大好きに追いつこうとするのではなく、他の人の大好きを否定しないことが重要なのだと結論付けたせつ菜は、パフォーマンスの方向性を改め、次のライブに向けてLIKE IT!LOVE IT!を作ります。


これまでのせつ菜の曲はどちらかというと自分の中の大好きと向き合ってきた自分のことを歌った曲で、その気持ちを聴いている1人1人に共感してもらうことで勇気づけるような曲かなと思っています。
一方でこのLIKE IT!LOVE IT!は、歌詞的には1人1人に語りかけてはいるんですが、聴いている感覚としては大好きが溢れる世界をみんなで作っていくにはどうすればいいのか発信するような、みんなを巻き込んでいく曲かなと思っています。
今までのせつ菜曲には意外になかった曲中の合いの手や、衣装のメガホンなんかがそういう印象に影響してるところもあるかなと思います。
自分の大好きを縛られ、否定されていると感じていたせつ菜だから、そしてそれを乗り越えて大好きを叫べている今のせつ菜だからこそ歌える歌詞がたくさん散りばめられていて、"今は笑って話せるね" から感じる上手くいかなかった日々を乗り越えての成長や、せつ菜自身の実体験があるからこその "私が証明してみせるから" という言葉の説得力なんかは、特にそれを感じます。
他の人の大好きを否定しなければ大丈夫、というのは1stライブでともりるが今までのマンスリーランキングなどの展開への個人の見解を語ったMCでも言及されていた考え方で、どちらが先だったかはわかりませんが、ともりる自身もこの曲のメッセージに共感しながら歌えるのではないかなと思います。(確かがさらじでも本人がそんなことを言っていた気がする)


僕はサビの前半の "Like it! I like it!" はみんながそれぞれに「大好き」を叫んでいる声であり、後半の "I love it! I love it!" の it は前半でみんなが "I like it!" と言っている光景のことを指している、つまりせつ菜自身が「みんなが大好きを言える世界」が大好きであると言っている、と解釈しています。
"We" じゃなくて ”I" なのもポイントだと思っていて、みんなが同じものを好きとは限らない、でもせつ菜は、"私" はそれが好き、というニュアンスに繋がっていると思います。
みんながそれぞれ別々の「大好き」を持っていて、それを見ること、受け取ることがせつ菜の「大好き」。だからそれが自由にできる世界を目指したい。
それがこの曲と対応するキズナエピソードを通じて表現されている、もう1つのせつ菜らしさだと思います。
そしてこの曲がそんなせつ菜の想いを表現しているだけでなく、この曲の気持ちに共感する人が世界中に広がっていけば自分の理想とする世界に一歩近づける、という、野望を実現するための手段にもなっているところが面白いなと思います。


"I like it!" から繋がる "彩り鮮やかな万華鏡" という歌詞も、視点を変えると見える景色が変わる様子を表現していて、同じものでも人それぞれの見え方・感じ方があって、それぞれの好きがあって、それぞれが美しいよという曲のテーマが詰まってるように感じます。
2番で対応する箇所の歌詞である "重なり響き合うサウンド" もまた、「大好き」だというファンからの声はそれぞれ違う声でも、重なると自分が好きな響きになる、というメッセージのようだと捉えていて、せつ菜がライブでのコールの声なんかを聞いたときにそんな風に感じているのかもな、と思っています。
こういうところからも僕は前述の「みんなを巻き込んでいく」という雰囲気を感じているのかもしれません。
あと好きなのは、"みんな同じなんだ! 自分にしか描けない空だ" の部分で、"同じ" と言っているのに "自分にしか描けない空" というのがパッと見だと矛盾しているようにも感じられます。
「自分だけの大好きがある」という点でみんな同じだ、ということだと僕は解釈していて、みんながそれぞれに「大好き」という気持ちを持っている、という共通点で繋がっていくことで、せつ菜が望む世界へ近づいていくんだというこの曲のメッセージがここからも伝わってくると思っています。
MELODYのときから空はせつ菜にとって夢や「大好き」がある方向である、という感じがしますが、「空を描く」 という表現からも夢を描くキャンバスのようなイメージが伝わってきて、他にも "キミ色" という表現が使われているところも含めると、なんだか色鮮やかな空・虹というイメージも浮かんできて、そんなところに虹ヶ咲らしさもあるなあと思っています。


ストーリーとは関係なく個人的に好きな歌詞の話をすると、"思い出して!本当の気持ちを もっともっと自分を好きになれるから" というところが好きです。
個人的に僕は自己肯定感がめちゃくちゃ低い人間なんですが、この歌詞の通りに「何かを好きな自分」を思い出してみると、確かにそんな自分に悪い気はしないなと思います。 (まあ気恥ずかしくはあるんですが……)
今まで書いてきたように、この曲は何かを好きな誰かを好きでいることについての曲だと思っていますが、この歌詞は何かを好きな自分も好きでいられる気がするところがいいなと思います。
そこからさらに "その溢れる感情は嘘なんかじゃないでしょ?" という歌詞でダメ押しされます。
僕個人としては好きなものについて考えていると、「僕これ本当に好きか?」「もはや習慣になっているだけでは?」「執着してるだけでは?」「不誠実な人間になりたくないからずっと好きということにしたいだけでは?」みたいな状態に陥るタイミングがたまにあります。(まあ実際それが真実なこともあると思いますが)
"その溢れる感情は嘘なんかじゃないでしょ?" は問いかけですが、一方で「その答えはYesでしょ?知ってるよ」と暗に言われているようなニュアンスもあって、その「知ってるよ」と言われているような感覚に自分の「好き」を肯定してもらってるようにも感じます。
この歌詞を聴くと、穿って考えすぎるのをやめて、ポジティブに好きなものを見つめ直せる気がします。
少なくともこの曲はやっぱり好きだなと改めて思えました。


あとは細かい話だと、この曲ヘッドフォンなどでちゃんと聴くと、実はリズムギターがL、リードギターがRで分かれてるんですよね。 (正確に言うともう一方でも少しは聴こえる気がするので、片方にまったく音が入ってないわけではないはず)
バンドの配置の再現で、ライブの臨場感に繋がる演出という意図の可能性もあると思いますが、なんだかせつ菜と菜々の2人を意識した構成という解釈をしておくのもいいなあと思っています。
ギターで言うと、AメロBメロはリズム・リードギターが入れ替わり交互に主張していく感じでそれもせつ菜・菜々の2人っぽさみたいなものを感じるんですが、めちゃくちゃ主張が激しかったギターがサビでは全然目立たなくなってボーカルに譲ってる感じも、2人が合わさって今歌ってるせつ菜に繋がってる、みたいな感じがして好きです。
他にもDメロ終わりからラスサビに入るまでの部分のインストパートで、(僕が聴く限り) ほぼ全ての楽器の音が縦に揃って展開するのも、みんな1人1人違う「大好き」の声が合わさって1つの空・世界を作っていく曲のイメージをラスサビ前で提示してからクライマックスに向かっていく感じがして、好きです。
あとはラスサビの "無限大に広がる可能性を" のところでベースがボーカルにハモってくるのもめっちゃ好きです。
(この曲マジでインスト音源ください……)


まとめると、束縛からの解放によって自分の問題に一区切りをつけ自由に活動できるようになったせつ菜が、大好きが溢れる世界を実現するという野望に向けてついに一歩を踏み出し始めた。そんなせつ菜の進化と真価が詰まった楽曲だなと思っています。 (クソウマオヤジギャグ)

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